遊びを学ぶ!プレーパークせたがや

2.遊ぶ、それは自ら育つこと

「遊ぶ」ってなんだろう?

「遊ぶ」ことは、なぜ子どもに必要なのでしょう?

「やりたいこと= 遊ぶこと」

「遊ぶこと」とはそもそも何でしょう?例えば「はい、今からみんなで鬼ごっこをしますよ!」と、やりたいと思ってないのに、強制的に始められた鬼ごっこは、「遊ぶこと」でしょうか?

少なくともイヤイヤ従っている間は、遊んでいると自分では感じられませんよね。でも、楽しくなってきたら、遊んでいると思えるかもしれません。
つまり、「遊ぶこと」には自分が「やりたい」と思う気持ちが必要条件なのです。
「やりたい」という気持ちは、自分の内側から生まれてくるものです。

それは例えば、赤ちゃんが虚空をつかんだり、寝返りを打ったり、立とうとするところから始まります。なぜそう思うのか本人にもわからないその衝動は、子どもたちを走らせたり、高い所から飛び降りさせたり、泥んこにさせたりします。
つまり「やりたい」は、自ら成長しようとする、誰もが本質的に持っている「生きる力」が生み出すパワーに他なりません。子どもは遊びを通じて、それを充足させていくことで「私の世界」をつくり、体を、心を、自分自身を育てていくのです。

「自ら育とう」とする意欲にあふれた「遊ぶ」という行為を、私たちプレーパークせたがやでは、「遊育」と名付け、他では代えることができない価値をもつ世界として提唱してきました。
では、子どもは遊びでどう育つのでしょう?いくつか具体的な例を見てみましょう。

なぜ、「危険な遊び」をするのか?

子どもは不思議なほど、危ない遊びを好みます。
階段があれば2 段3段飛びに挑戦し、登れる所があれば何とかよじ登り、そしてやっぱり飛び降りようと試みます。その様子はまさに本能に突き動かされているように見えます。だとしたら、何のためにその本能はあるのでしょう?

「私たちは、限界に挑戦することで、カラダの使い方を獲得しているのではないかと考えています。だから子どもが挑戦する、一見危ない遊びを「危険だから」と無闇に止めるのは、子どもの成長の機会を奪うことに他なりません。
プレーパークでは病院に行くことになったケガを、全て記録しています。その内容を見ると、初めて来園した子が最も多く、来園頻度が増える程ケガをする割合が低くなる傾向が出ています。

その理由は、遊ぶ姿を見れば一目瞭然です。例えば、大きな滑り台を逆に登る遊びで、初めて来た小学生が苦戦している横を、良く来ている幼児がこともなげに追い抜いていく、などという事が良くあります。どこにどうやってチカラを入れれば良いか、重心はどうするのか、そういったカラダの使い方は経験を通してしか手に入れることはできないのです。
また一般にケガは、体が大きくなってからの方が重傷化しやすくなります。体重20kg の子どもと40kg の子どもが同じ転び方をしても、その衝撃がまるで違うのは想像できると思います。小さいうちに、小さなケガをたくさんしておくことが、大きなケガを防ぐことにつながるのです。

遊びで身につくもの

「遊ぶことで、自ら育つ。」

遊びで身につくものは、枚挙にいとまがありません。
上に挙げた、カラダの使い方もそうですし、単純な話、体力もつきます。
例えば、折り紙やあやとりで手指の使い方を学んだり、工作遊びでは道具の使い方を覚えます。カラダだけではなく、例えば集団遊びの中で、正義感とか友情とか、あるいは処世術を学ぶことも多いでしょう。食べられる木の実、かぶれる葉っぱ、花の蜜の吸い方、虫の取り方など、自然の知識も得られます。

また、集中力も遊びで育まれる大切な要素です。
これは、大人がいくら「集中しなさい!」と教えても、決して身につかないものです。しかし、やりたいことをしているとき、子どもは夢中です。熱中しています。集中しています。そうやって、集中力を自分で獲得している。
この自分で獲得している、ということが「遊育」と「教育」の最大の違いです。
遊ぶことで、自ら育つ。誰かに教えられるのでなく、自分だけの体力を、知力を、感覚を、そして心を育む。遊育こそが、成長の大きな鍵なのです。

子どもたちに、豊かな遊びの時間を。

上に挙げた例はほんの一例で、遊びで得られるもの、遊びでないと身につかないものはたくさんあります。
しかし、これらは「結果的に」身につくのであって、遊びの目的ではありません。遊びの目的は遊ぶことそのもの。つまり、楽しいことと、自分の「やりたい」を実現することに尽きます。

楽しいことが、大切なのは説明するまでもありません。生まれてきて、楽しい時間が少なければ、生きることに価値を見出せなくて当然です。
そして自分が「やりたい」と思うことを、制限されたり禁止されたりするばかりでは、子どもは次第に、何かを自分から始めようとする気力を失ってしまうでしょう。また、自分に自信が持てない、いわゆる自己肯定感の低い人間にもなってしまいます。

もちろん子どもの「やりたい」を全部肯定できる訳ではありません。車道に飛び出そうとする子どもは止めなければならないし、勉強だって必要です。だからこそ、遊びの時間をしっかり確保し、その間子どもの自由を守ることが大切なのです。
子どもたちに、豊かな遊びの時間を。それは本人が育つ機会を保障するという、大人が果たさなければならない責務です。