遊びを学ぶ!プレーパークせたがや

連載―withコロナのわたしたち 第2回

『 withコロナとwithプレパ 』

「早くいつもの生活に戻りたいよ~。」

新型コロナウイルスの流行から、早くも1年以上が経ったが、未だ収束は見えてこない。出口の見えないトンネルを、正解も不正解も分からないまま、試行錯誤し続けてきた1年間。プレーパークという遊び場においても、それは変わらなかった。
社会の中でも、この状況をどうにかしようと、いろんなことに制限が生まれ、みんなが我慢を強いられてきた。大人でも大変だな~と思うことは、子どもにとっても同じ。いや、むしろそれ以上だと感じている。

冒頭の一文は、遊びに来た一人の小学生がつぶやいた一言である。「相当我慢しているんだな。」この言葉を聞いて、私はそう感じた。目には見えないけれど、心をギュッと押さえ込まれながら過ごしている。それが解き放たれた瞬間のようにも聞こえた。また同時に、この子は言葉として吐き出せて良かったなとも思えた。
子どもたちは、日常的に誰かに評価される社会で生きている。「こんなこと言っていいのかな?」いつも周りの目を気にして、自分の気持ちを声に出せない子もいる。時には言葉以外のカタチで、見えてくることもある。かなづちで、工作の木を力いっぱい叩いたり、遊具に向かってひたすら泥を投げたり…。一見、「なぜ?」と思われる行動でも、実は自分の気持ちを「発散」していたりする。冒頭の一文も、そんな評価される場ではない、「遊び場」だからこそ出てきた一言だと思っている。

「こういう状況だから、しょうがないよね。」
これは、とある中学生の一言である。「しょうがないってなんだよ!そんな言葉で割り切るなよ!」そう思ってしまう自分がいた。でもこれが現実で、こうやって子どもたちから、いろんなことを諦めさせていることにも気付かされる。
感染対策…。もちろん、足並みを揃えることが大事な時もある。ただ、いかなる状況においても、そうすることが良いのかというと、そうではないと私は考える。「大人がやっているから、子どももやらなきゃいけない」という考えは安易で、そうすることで、同時に子どもから奪っているものがあることにも、目を向けなければいけない。そうでないと、奪わなくていいことも、奪っていることに気付けなくなる。
そうして、いろんなことが「当たり前」になっていき、そのことに疑問を持たなくなることが、本当の怖さではないだろうか。

変異株が増加傾向にあるのは懸念材料だが、それでも子どもの罹患率はまだまだ低く、重症化もほとんど見られない。制限することの方が、楽で簡単だ。しかし、そのことで奪われるものがあることも、また事実。子どもたちから「日常」を簡単に奪わない。そのために、何ができるのか…。みなさん、大人の知恵の見せ所ですよ!

プレーワーカー かつき


連載、第2回は、烏山プレーパークのベテランワーカー、かつきの思いをお届けしました。2021年春号のモグラ通信(烏山プレーパークの広報誌)からの再掲載です。

親とも教師とも違う視点で子どもたちの思いに寄り添いながら、コロナ禍で試行錯誤を続けてきたかつきだからこその言葉です。

私自身、無意識に日常的に子どもの言動を評価していたり、当り前に疑問を持たなくなっていたり、親として、世話人として、大人として、ハッとさせられました。何ができるのか、知恵をしぼらなければ、しっかりせねば、と反省しました。世話人しみず

投稿日は: 2021年7月5日 3:28 PM