利用者の声
●Mさん:9才(小学校4年生)男子の母
学童が終わった3年生の春休みに、初めてお友だちと自転車でプレーパークまで行ったのがきっかけで、その春休みは毎日遊びに行ってました。
プレーパークの何が好きなの?と聞いたら「自分で好きなものをつくれるじゃん」と。工作のことかと思ったら穴を掘って池をつくれるという意味だったのには驚きました。
あと、いろんなところに登っても怒られないからいいって。他の公園、通学路などでは、怒られちゃったり、学校に電話されちゃったり…見張られてる感がするんだろうなぁ。
●Kさん:15才(高校一年生)男子の母
上の女の子の通う区立保育園が、プレーパークによく連れて行ってくれて、休みの日に親子で行くと、3才くらいで大きなすべり台に挑戦してる、「子どもってこんなことができるんだ、遊べるんだ」と発見する場所でした。
そんなわけで、下の男の子も自然に行くようになりました。当たり前と思っていたプレーパークが、遠くの人は電車に乗ってくるような恵まれた場所だとわかりました。小学校になると、一人で自転車に乗って行くようになり、クラスの親睦会や、授業でも行く、身近な場、遊びに行く場所の選択肢の一つでした。
高学年になると、5,6人で遊びに行って、かまどをつくって、マシュマロ焼いたとか、焼き芋したとか話していました。一時期はまっていたのが、リーダーハウスの屋根からジャンプ。飛べなくて友だちの中で最後から2番目に飛べたらしいってママ友から聞きました(笑)。
大人がいると危ないって言いがちだけど、目が届かないところで子どもだけで挑戦して成長することがある、そんな場所なのかな。
●Mさん:20代女性(元子ども)の父
私の長女は中学生の時に不登校になり、3年間で1学期2回しか登校しませんでした。
クラスメート達との折り合いが甚だ悪く、イジメもあり、2年生の2学期に「学校には行かない」と宣言しました。
話し合いの結果、家に引きこもらない事を条件に、親として不登校を容認しました。幸いな事に、長女は幼児期から駒沢はらっぱプレーパークで遊んでいて、家・学校以外の第三の居場所にしていました。
不登校になってからは、それまで行く事のなかった平日午前中に行くようになり、来園している幼児と遊び、その保護者である母親たちと仲良しになり、人脈を広げていったようです。当時、長女に届いた年賀状は、一桁年齢から50代までの100通に上り、驚いたことを覚えています。
プレーパークでは、日々遊ぶだけでなく、イベントにも積極的に参加していたようです。仮装して宝探しのキャラクターを演じたり、子ども商店街で焼鳥を売ったり、音楽イベントでステージに立つなど、普通ではなかなか得られない経験を積ませてもらいました。
また、夏のプレーパークキャンプにも毎年参加し、他のプレーパークのお友達もたくさん得たようでした。
学校に行かなかった間、プレーパークでさまざまな経験をしていた長女でしたが、中でも大きかったのは、音楽と演劇に出会えたことだったかな、と思います。もともと歌うことは好きでしたが、プレーワーカーや友達と一緒に楽器も覚え、毎日演奏していたようです。また、「演劇をやりたい!」とあちこちで言い回り、プレーワーカーとそのOGで女優になった人と「プレーパーク劇団」を結成しました。小学生から高校生まで、発達障害を持つ子も含めて団員を集めて、オリジナル脚本の劇を発表していました。
この音楽や演劇の楽しさに目覚めたことが大きなきっかけになって、長女は高校受験を決断しました。高校では演劇部に入り、素晴らしい仲間を得て、高等学校演劇大会で関東大会まで進出。大学でも演劇が学べる学部に進学しました。
現在は20代後半の社会人ですが、今でも年に1、2度プレーパークのイベントなどには顔を出し、昔の友達とギターを弾きながら歌ったりしているようです。
不登校になった時はどうなることかと思いましたが、プレーパークがあったことは、彼女にとって本当に幸運でした。
●Nさん:3才女児の母
去年、私はいわゆる「魔の2歳児」と呼ばれる娘との関係に日々悩んでいました。
当時の娘は自己主張を始めると、言葉で表現しきれず最終的に大号泣。1日に10回近く泣かれることもザラでした。
そんな娘と家の中で二人きりだとお互いストレスが溜まります。だからといって、おでかけ広場は元気いっぱい過ぎて危なくて行かれず、公園へ行っても遊具を順番に使えなかったりして周りに気を使う有様でした。
そんな私にとって、ご近所のプレーパークは心の基地でした。まずプレーワーカーさんがいらっしゃる。子どもに理解ある方と挨拶を交わすだけでホッとします。そしてプレーパークへ遊びにくる子どもたち。なぜか乳幼児に理解ある子どもたちが多いのです。おかげで私は周りを気にせず、気持ちを緩められました。そんなプレーパーク、同じような悩みを持つ友人たちにももっと利用して貰えたらいいのに…と思うようになりました。
もともと食い気な私、それならかまどをお借りし、みんなでわいわいランチを作って食べればいいんだ!と思いつきました。子どもが遊んでいる間に親は昼ごはんを作り、それを食べれば親子で時間を気にせず半日過ごせます。煮込みうどん、カレー、流しそうめんと月に一回ほど集まるようになりました。
娘はプレーパークで昼ごはんを作る日だと分かると、自ら身支度をするほどの変身ぶり。
着いてからもかまど作り、着火材用の新聞やうちわの用意など、きびきびと動き回ります。準備がひと段落するとワーカーさんや参加者の方と縦横無尽に遊びます。
私は参加者の親御さんと交代しながら昼ごはん作り。視界の遠くで楽しそうに遊ぶ娘を見ると、近所にプレーパークがあって良かったと感慨深くなります。
出来上がったランチを囲むとまぁみんなよく食べる(笑)。偏食の激しい娘もなんだかんだと文句を言いながらもよく食べるので不思議です。
まだまだ見守りが必要な年齢の娘、今後も親子でお邪魔する機会が続きます。
プレーパークは子どもだけでなく、親にとっても大切な場所です。プレーワーカーさん、世話人のみなさま、これからも素敵なこの場所を守り育ててください。応援しております!