「なんで公園でたき火をしているの?」
「地面が穴でボコボコ・・・」
「あんな高い木に子どもが登ってる!」
「初めてプレーパークに来た人は、びっくりすることが多いかもしれません。普通の公園ではありえない風景ですから、それも当然。ではなぜ、世田谷区にこんな場所が生まれたのでしょうか?
1970 年代はじめ。 都市で窮屈そうに遊ぶわが子の姿に、「自分の頃とずいぶん違う」と疑問を感じた一組の夫妻がいました。 欧州の「冒険遊び場」をヒントに、夫妻と地域住民たちが始めた手づくりの遊び場が土台となり、1979年、日本で初の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」が世田谷の地に誕生しました。
「子どもにもっと自由な遊び場を!」
という住民の思いと力によって生まれた「羽根木」「世田谷」「駒沢はらっぱ」「烏山」、4つのプレーパークでは、禁止事項をなるべくなくし、たき火、穴堀り、木登り、水遊び、工作など、子どもが自然の中で自由にのびのび遊べる環境をつくっています。遊びに来る年齢層もさまざま。小学生はもちろん、赤ちゃん、幼児、中高生からシニアまで、幅広い世代に愛されている「地域の遊び場」です。
子どもの「やってみたい」という気持ちは、「自ら育とうとする力」の現れです。遊びの中で経験のないことに挑戦し、自分の世界を広げようとする気持ちを、プレーパークは応援しています。子どもが挑戦する中で、時にはケガをすることもあるかもしれません。しかし、そうした経験は、本当の危険から身を守る力を子どもが身につけるチャンスでもあります。
今、世の中ではケガや事故に対する責任追及の声が大きくなり、公園でさえ禁止事項が増え、子どもたちから挑戦の機会が奪われています。プレーパークでは、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、子どもたちが「やってみたい」ことへどんどん挑戦できるよう、保護者や地域の皆さん、社会に呼びかけています。
区と住民の恊働で運営しています。
プレーパークは1979 年の開設当初から、区と地域住民の恊働で運営されています。現在は区がNPO 法人プレーパークせたがやに事業を委託。場と資金は区が確保し、運営はプレーワーカーと、地域住民でもある世話人( 運営ボランティア)たちが担うという「二人三脚」方式です。
世田谷区のプレーパークには、プレーワーカーと呼ばれる常駐スタッフがいます。 プレーワーカーの仕事は、「子どもが自由に遊べる場をつくる」ことです。 遊具の作成、遊び場のデザインをはじめ、ケガの応急手当、社会への「遊びの大切さ」の発信など、その役割は多岐に渡ります。